戦車闘争

物騒ですが、映画のタイトルです。また、私ぐらいより上の世代にとっては、ある意味懐かしい響きではないでしょうか。県内では「あつぎのえいがかんKiki」(12月30日まで)と「シネマ・ジャック&ベティ」(12月26日まで?)で上映されています。

1972(昭和47年)8月から11月にかけての約100日間に及ぶ、政党や過激派だけでなく一般市民や市役所職員なども参加した活動を、総勢54人もの当事者等の証言、新聞記事、映像等で構成したものです。誤解を恐れずに簡略化すると、ベトナム戦争で破損した戦車・兵員輸送車を相模総合補給廠(当時は相模補給廠だったか横浜技術工廠?(YEDと呼んでいた記憶があります)だったか)で修理し、横浜のノースドックからまた送り返すのを阻止しよう(ベトナム戦争に加担しない)という運動でした。反対していた側だけでなく、機動隊員、地元商店街の店主や運送会社の運転手などの証言も入っています。個人的に知っている人も何人か出演⁉︎していました。闘争の詳しい内容は各自お調べいただきたいと思いますが、車両制限令の重量オーバーを盾に取って戦闘車両の運搬をストップさせていたのを、米軍車両は適用除外とする改正がされて、闘争はあっさり終了してしまったのでした。

なぜこの映画を観たのか。私は当時15歳、高校一年生で、相模原市民吹奏楽団の練習に参加していた(おそらく)ある土曜日の夜のこと、市役所の向かいにある体育館の中の会議室にいたのですが、西門の方面が騒然としていた記憶があります。また、小学校の鼓笛隊時代にはこの基地で行われていた盆踊り大会で演奏したことや、市役所では渉外課で基地対策に携わっていたことなども含めて、比較的基地との縁が深い気がしているためです。

相模総合補給廠は、旧日本陸軍相模造兵廠を戦後米軍が接収して使用してきましたが、平成26年に17ヘクタールが国に返還され(過去にも一部返還された部分はあります)、市ではまちづくりに活用するよう検討中ですが、今なお約196ヘクタール余りもの面積を有しています。このうち35ヘクタールを共同使用できることになりましたが、市では10ヘクタールを利用して公園整備を段階的に行っています。去る11月14日からその一部が供用開始となり、市民の憩いの場となっています。

どうでもいいことですが、「ごぼう抜き」の新しい(むしろ本来のイメージか?)意味を知りました。駅伝などでは、順位の下の選手が、先を走る他チームの選手を何人も追い抜いて順位を上げる意味で使っていると思います。抜きにくいものを抜く、という意味では同じかもしれませんが、座り込みんでいるデモの人間一人につき機動隊員が二人がかりで両側から脇を抱えてエイヤっ!と座り込みの塊の中から引き抜くのです。これを称してごぼう抜き、というわけです。納得。

投稿者: はっちゃん

相模原市議会議員 保護司 桐蔭横浜大学法学部非常勤講師

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です