神奈川医療少年院跡地利用(5)

清新地区からの要望と法務省矯正局からの回答(その2)

「旧神奈川医療少年院跡地の活用について」清新地区まちづくり会議から法務省矯正局長への質問・要望(令和2年9月23日付け)

【要旨】7月9日の回答を受け、まちづくり会議で意見交換をした。前回の要望に対する回答には「整備ありき」の市政が感じられ、まちづくりへの貢献度の低いものと考える。研修施設か福利厚生施設等も考えられるところ。地域に理解される施設で、地域と共存できることが重要と考える。66年間少年の学びを見守り、励ましてきて、施設整備は“もういいでしょう”というのが地域住民の本心である。

1 刑法犯の認知件数は減少している (1) 東京矯正管区内における少年院の種類(第1種~第4種)ごとに、過去5年間の収容可能人数と収容人数 (2) 同管区内の少年院の設置、改築の年次 (3) 同管区内で、今後の廃止、移転、改築等の計画

2 清新地区・相模原市の発展にとって貴重な場所であり、少年院の整備は相応しない。 他の代替地を検討してほしい。市も検討について可能性は考えられるとしている。

3 当会議は一から再考してほしいと願っている。同時期に閉庁、移転した他の施設同様、所管を財務省に移してほしい。

4 市からも法務省に対し、跡地利用の方向性が固まる前に地域への説明等をしっかりと行い、地域住民の思いに耳を傾けてもらいたいと伝えてあると聞いている。しかし、事前の説明はなく、整備ありきの性急な動きは理解しがたい。この件について説明を求める。

 「旧神奈川医療少年院跡地の活用について」法務省矯正局総務課長からの回答(令和2年10月2日付け)

【要旨】今後の利用計画を説明している中で、地域の皆様から災害発生時の避難場所等の設置場所としての使用を要望する声があったことから、本年9月に市と当局の間で書面を取り交わし、防災上の協力体制を構築した。  再度要望をいただき、地域住民皆様の理解が必要であり、共存できることが重要であるとの考え、潤いと活力に満ちたまちづくりに対する思いを改めて拝受した。

1 東京矯正管区館内の少年院の現状等   収容人員等、設置・改築年次について別紙のとおり(注:写真参照)。今後の廃止、移転、改築等の計画は現時点ではない。ただし、収容状況等、在院者の効果的な社会復帰支援の実施等を総合的に勘案し、統廃合の検討を進めていく。

2 代替地の検討及び 3 財務省への所管換 少年院としての機能だけでなく、地域の防災拠点、飛行や家庭問題等のそうだ支援拠点、地域の小中学生の活動の場、地域のコミュニケーションの場等を併せ持つ施設の整備用地として法務省の行政財産として引き続き使用する予定である。

4 「事前に説明のない整備ありき」について 平成30年12月に企画財政局に少年矯正施設の充実を念頭に、跡地を引き続き法 務省で使用することを検討する旨を説明した。清新地区まちづくり会議には平成31年2月の同会議の場で、少年院を整備する要望を(省内で)行っている旨を説明した。令和2年1月には、中央区長等の職員、地元自治会関係者等に対し、多摩少年院の視察を実施、2月には本庁地域まちづくりセンターに対し、矯正教育を行う新たな施設の整備に係る具体的な検討に着手し、予算措置を求めていく方針について説明した。7月には自民党市議団が法務省を視察した際跡地利用の方針、地域の不安払しょく、地域における施設の利活用の方策等について説明した。地域の皆様に十分な情報提供ができなかったことに対してはお詫びする。今後の整備に当たっては、建物配置ありき、設計図ありきではなく、設計前の段階から地域の要望を丁寧に伺いながら、整備の在り方を検討していく。

神奈川医療少年院跡地利用(4)

清新地区からの要望と法務省矯正局からの回答(その1)

 清新まちづくり会議が、法務省矯正局長宛て「神奈川医療少年院跡地活用に関する要望書」を提出(令和2年4月22日付け)

【要旨】昭和28年の神奈川少年院開庁から平成31年の神奈川医療少年院(昭和53年に医療少年院に改組)の閉庁まで、地域住民は66年間少年たちを見守り、交流してきた。昭和28年当時雑木林だった施設周辺は、現在では小学校、中学校、商業施設等が立地する地域へと変ぼうしている。跡地は、交通至便な一等地であり、今後の市・地区の発展に欠くことのできない貴重な財産である。  平成31年1月10日の閉庁式及び同年2月20日のまちづくり会議においては、跡地の活用については「未定」、今後活用について動きがある場合には「情報提供をし、相談する」とのことだった。  まちづくり会議としては、この発言に違わない対応をお願いするとともに、跡地の活用について、つぎのように要望する。

 (1) 橋本駅・相模原駅周辺のまちづくりを見据え、当地の活性化・魅力アップにつながる少年院等以外の施設の設置  (2) 地域の付加価値を高める施設の設置 (3) 神奈川医療少年院と同時期に閉庁・移転した施設の跡地と同様、市等の公共的な土地利用が可能となるような財産処分  (4) 検討中の案件があれば提示

 「旧神奈川医療少年院跡地の活用について」法務省矯正局総務課長からの回答(令和2年7月9日付け)

【要旨】60余年の長きにわたり、在院者の改善更生、社会復帰に向け地域の皆様から温かい支援と協力を賜り感謝申し上げる。  非行少年が施設に収容されている間、社会から隔絶されたままの状況では円滑な社会復帰が困難である。収容されている少年も、かつての暴走行為や暴力行為を行う者は少なくなり、発達上の課題を抱える者、特殊詐欺の受け子として犯罪の全容を知らないまま関与してしまった者、虐待の被害者としての経験を有する者等が増えている状況である。再び非行に陥らないためには、保護者、保護司、篤志家等多くの方から切れ目のない支援をいただくことが重要である。そのためには、地域の方々の理解と良好な関係を礎としつつ、交通の利便性があり、誰もが訪れやすい環境が不可欠であり、同地が最適であるとの判断に至った。

1 要望内容に対する回答要旨  (1) 当地域の活性化・魅力アップにつながる、少年院以外の施設の設置 ・・・ 少年の再非行防止に向けた日本を代表する新たな施設を整備・運営していく予定 しており、国内外から多くの関係機関等の人が訪れることが想定される。これは当地域の活性化の一助になるのではないか。桜並木についても活用の仕方について、地域と相談しながら進めていきたい。さらに、職員・家族等200名前後が居住することが想定されるが、地域の各種活動に積極的に参加する。   (2) 地域の付加価値を高める施設の設置・・・ 収容施設では様々な教育活動が実施され、そのためのグラウンドや体育館等の建物が敷設される。レイアウトを工夫することによって、災害時に周辺地域の方々が利用できる避難場所とすることが可能となる。また、防災備品や非常食等を備えているだけでなく、非常用設備等の緊急運搬や心理専門家による災害に伴うPTSD等の支援態勢の構築も可能となる。よこはま法務少年支援センターのサテライト機関を設置し、地域援助として学校や家庭における非行問題、福祉施設等における問題行動、発達上の課題への対応等について、心理検査やカウンセリング等、センターと同様の体制を整備したい。  (3) 他の施設跡地と同様、公共的な土地利用が可能となるような財産処分 ・・・ 財産処分は予定しておらず、収容施設の機能と地域の発展を両立できるような施設整備を行っていきたい。

2 整備計画等   第1種少年院対象者(男子)120名を収容、令和3年度~設計、令和5年度~工事、令和7年度運営開始

神奈川医療少年院跡地利用(3)

神奈川医療少年院の沿革(『神奈川医療少年院の思い出 桜』より)

昭和24年9月  渋谷区において東京少年院(我が国初の医療少年院)が開庁。収容開始

昭和26年4月  東京医療少年院と改称

昭和28年4月 相模原市小山に神奈川少年院開庁。収容開始

昭和53年3月 神奈川少年院廃庁

昭和53年4月 神奈川少年院の跡地に東京医療少年院が神奈川医療少年院と解消され移転

昭和54年3月 新庁舎での収容開始

平成29年4月  国際法務総合センター(昭島市)への移転が決まる。

平成31年3月  神奈川医療少年院閉庁

※敷地内の「桜」は、昭和28年、神奈川医療少年院の開設に合わせ、職員の手によって植えられた。

※昭和58年4月 敷地約9ヘクタールのうち北側の約4.7ヘクタールを割愛し、市立小山小学校(約2.1ヘクタール)と小山公園(約2.6ヘクタール)を設置

※平成15年4月 小山公園の北側約1.8ヘクタールを割愛し、市立小山小学校を設置。小山公園は日本金属工業跡地に移設(告示面積3.1ヘクタール)し、割愛後の公園は小原公園(告示面積0.77ヘクタール)となる。

相模線沿いの桜並木

神奈川医療少年院跡地利用(2)

少年院とは(法務省矯正局作成『明日につなぐ 少年院のしおり』より)

家庭裁判所の決定により保護処分として送致された少年を収容する、法務省所管の施設です。  少年院では、在院者の特性に応じた適切な矯正教育その他の健全な育成に資する処遇を行うことにより、改善更生と円滑な社会復帰を図っています。  少年院は、おおむね12歳から20歳までの少年を収容しています。また、16歳未満の受刑者を収容することもあります。  少年院には、犯罪的傾向の進度や心身の著しい障害の有無などにより、第1種から第4種までの種類があります。

『明日につなぐ 少年院のしおり』より
神奈川医療少年院は、第3種ではなく、第1種・第2種に指定されていました。

神奈川医療少年院跡地利用(1)

概要(以降、文責はすべてはっとりです。)

 現在の清新地区の大きな課題、関心事である、神奈川医療少年院跡地の利用問題について、少しずつですが、これまでの経過などをお知らせしていきたいと思います。どのくらいのボリュームになるのか分かりませんし、情報の順番も一貫しないかもしれません。また、繰り返し同じことが何度も出てくるかもしれませんので、あしからず。

 概略を述べると、昭和28年から現在の小山4丁目に所在していた神奈川医療少年院(開庁当初は神奈川少年院)が、令和元年に昭島市の法務国際総合センター内に新設された東日本少年医療・教育センターに移転・統合されました。地元の清新地区としては、地域の活性化につながるような施設の設置を望んでいますが、法務省からは新たな少年院を設置する意向が示されています。

 清新地区では、神奈川医療少年院の移転・閉庁の情報を得てから(新たな少年院の設置が提示される前から)、まちづくり会議が中心となって平成30年度の清新地区まちづくり懇談会、令和元年度と2年度の清新地区まちづくりを考える懇談会「地域の未来を語ろうwith市長」の場において、この地の活用についてを議題として採り上げ、市と議論する傍ら、まちづくり会議として法務省に2度、市長に1度要望書を提出しています。

 私も、令和元年12月定例会議と令和2年9月定例会議の一般質問でこの問題を採り上げましたが、地区の意向に沿うような市の具体的な支援は得られそうもない状況です。国の計画が示された以上、なかなか少年院の設置自体を覆すことは難しい状況ですが、あきらめずに取り組んでいきたいと思っています。